終戦に向け、東久邇宮総理が起用された。 兵士の矛を収めるのは、国内も同じである。 一発の銃弾で終戦のご決断を台無しにしてしま うことになる。これだけの軍隊を銃弾一発も発せさせないということは、民間人では不可能。 東久邇宮は陸軍軍人でもあり、これだけの軍 隊を一斉に鎮めることが出来たのは、世界でも例がない。 この後、昭和天皇は、伊勢神宮へ終戦のご報告をされた。 現憲法の「象徴」について 武田氏は、この「象徴」の表現を米国から、押し付けてられたものであろうが、怪我の功名というか、実に上手い表現をしている、と評価する。 「象徴」は、統治の結果であり、明治憲法の「統治」と変わらない。 「象徴に過ぎない」ということは、理解していない発言。米国大統領は、いく ら権力があっても「象徴」になれない。むしろ「分裂の象徴」である。 現代の立憲君主の形が昭和天皇である。 天皇の本質は祈る神事にある。孝明天皇は殊更、神事に力を入れた。次の明治天皇は、立憲君 主としての姿勢をみせ、優れた人材を政治に登用した。次の大正天皇は、家族を大切にし、民間人から親しまれる存在であった。昭和天皇は、 孝明天皇以降の天皇全ての要素を持ち合わせていた。 立憲君主時代の天皇のお姿の完成ではないかと思う。 今上陛下は、それが倍増さ れた。民間人との接し方、サイパンの慰霊、神事もまた先帝に仕えた先生より、先帝と一寸異なることがあれば、注意するように要望されてお られる。皇太子殿下も同様にあられるが、悲しいことに、そのことを知らずして、神事を真面目にやらないと批判するものがいる。 |
その国会での議員は、統治される国民の代表者である。 統治する国民主権を目に見えるようにしようとする、象徴される天皇になる。 国会で天皇の下に議員が並ぶのは、憲法の理に適っていることを共産党議員も理解するべきである。 憲法学会について 保守派がよく、現憲法を「無効」とするが、これは、左派の術中に陥ることになるから気をつけなければならない。 憲法学会は大半が左派であるが、彼らの解釈は、今上天皇陛下を第2代天皇と考える。それは、憲法が変わったことにより、初代は昭和天皇 であり、現天皇は2代目、百二十何代というが、現憲法にない慣習には束縛されず、 したがって、天皇は断絶されたもので連続性はないとい う見解をもっている。 共産党員でもそこまで考えない。その根拠が、8月革命説。つまり、旧憲法と現憲法が隔絶されているからということにな る。 したがって、押し付けられて悔しい面もあるが、憲法の連続性を認めなければ、8月革命説を肯定したことになる。我々は、この8月革命を 粉砕しなければならない。 と締めくくられた。 質疑応答抜粋 Q:左翼は、土足で天皇制(及び天皇)についてものをいうが、保守派は下々の立場での発言が憚られ、結果声が小さくなる。 A:「敬意」を持つ人にとっては「天皇を論ずる」などとは出来ず自然なことではあるが、やはり国民が天皇を知るということは、日本を知ることで ある。 恐れ多いからと避けるのではなく、飛び込みことも必要。バランスが大切。 今、皇室は100年の刑に掛けられている。100年後に途絶 えるようになっている。「開かれた皇室」も聞こえがよいが、弱体化である。皇太子妃も「様」ではなく、「殿下」である。「ミスター」や「サー」では ない。 Q:日本の建国の理念を具体化したらどのようになるのか A:アメリカはキリストの理念にある。日本は、日本書紀にあるように遡れば、先帝によって天皇が継承される。遡れば、神武天皇であり、それ を命じたのは、ニニギノミコトであり、その前の天照大神。天照大神に命じたのはイザナギ神、イザナギ・イナザミに命じたのは神代の意志。 宇宙の真理に天皇がある。 それを真実とする。それはキリスト教も同じで、マリア様の処女懐胎なんて事実としては有り得ず、旦那さんがい たらキリストは神の子ではなくなってしまう。事実を論じる必要は無い。書かれていることは真実とすることで成り立つ。 Q:憲法学会での左派勢力について何とかなるのか A:何とかしなければならない。8月革命説を粉砕しなければならない。「皇統保守」として展開する必要がある。 ポイント:理科系の考えで入る日本史は、国体を破壊する。 |
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竹田恒泰氏講演 『昭和天皇の御聖徳』 続き |
皇太子殿下を簡単にバッシングする風潮が有るが、掌典職(内掌 典)の方にお尋ねしたところ、しっかりと神事をされ、皇位継承者として 何の不安も無い、とのことであった。ちなみに通常の御拝は一般人な ら1分程度だが、陛下は11分30秒。皇太子殿下も11分30秒きっちり ということである。神事を見たことも無い西尾幹二あたりが、テレビで何 をいっているのか。 憲法が民主主義に反していることを言う人がいるが、その根拠に国 民主権があるが、主権者とは、統治するものを指す。国民一人一人は 統治される側であり、一人一人に主権があるわけではなく、国民の総 意に主権がある。しかし、統治する国民の総意には目に見えない。そ の国民の意思が国会である。 |