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講演内容 

 金美齢女史は、自らを「人寄せパンダ」と称した。
 殊、李登輝友の会支部設立記念講演には、必ずと
いってよいほど、招かれるからだ。本日の満員もまた
、「人寄せパンダ」ならではといわんばかりである。
しかし、この「人寄せパンダ」には、女史としての内な
る願いが込められている。
テレビ番組「たかじんの・・・」はまだ良い。しかし「太田総理・・・」となるとバラエティの枠組みであるのだが、一見、そのばか
ばかしいような番組にでることこそ、価値があるという。それは、難しい時事番組では、日本の若い人の多くは見ない。若い
人に女史の思いを伝えるためには、「太田総理・・・」は、格好の番組だからだ。テレビの編集権はテレビ側にあり、思うほど
に伝えられない現実の中でも、可能性がある限りは、出ることで伝えられる機会が訪れることを旨に「人寄せパンダ」である
ことを自認し続ける、ということである。 今や日本で高い認知度と地位を持つ女史だが、それでも我が身を挺してでも伝えた
いもの。それが、この日の講演である「日本再生への提言」である。

 番組収録で入学式に出られない生徒のことが取り上げられた。そこで必ず出てくるのが学校批判。しかし、学校は、全体と
して増加現象にある授業料滞納などで頭を痛め、その対応策を練ったうえで、保護者にも説明しているはずである。その結
果として式に出られない生徒を「可哀想」と取り上げる。誰一人として、保護者の落ち度は語ろうとしない。「モンスター・ペアレ
ンツ」を問題にしながら、モンスター・ペアレンツを製造する社会になってることを指摘。
 「介護をする」それは確かに大変である。しかし、大変である理由の一つである、核家族など少人数の家庭を選択したこと
自分の判断は、どうなのか?自分判断に対する責任はどうなのか?
今の日本人は、国に対し、文句を言い、批判をしながら求めるものは求め、義務を果たそうとし
ない。それでは、国が衰退することは当然である。 こんな考え方が蔓延する世の中で“皆がきっちり働いて義務を果たす。
まっとうな生き方をすることを伝えたい”このことこそ、「人寄せパンダ」であり続ける理由である。女史自身が、外国人として
日本で暮らし、不自由を感じた時代。半面、パスポートを失効しながらも受け入れてくれた日本の素晴らしさを語りながら、そ
の良さに気付かない日本人に愛想尽かすことなく、今日も語り続けることが、女史の使命としているようだ。
 中国情勢などが主体となる講演になるかと思っていたが、思いの他、日本人の精神部分、姿勢のことが中心となったこの
日の講演は、ある意味、日常のことだけに耳が痛い。我々、日本人が、いつまでも女史に「人寄せパンダ」を演じさせて良い
ものか?と聞いていて、心が痛む。

 先の台湾での総統選の結果について、国民党が圧勝し、総統も馬英九氏となったことで「台湾独立」は実現できなくなった
と述べた。金女史の胸中は、「独立」に費やして来ただけに今回の結果は残念だったことが伺える。柚原理事とは、その点で
違ってくるものの、これからの日本に対し、中国と対等に話し合えるのはこの地域では、日本しかいないことを強調。日本は
他国に対し覇権の意思もなく、ましてや領土を獲ろうとする考えはない。そんな国だからこそ、日本がこの地域でリーダーシッ
プを獲って行かなくては、この地域の安定は無い、と断言。そのために国を否定するような、今日の教育やマスコミから脱却
し、国に誇りを持ち、日本人であることが幸せであることを知り、国を地域を愛する気持ちを持つことこそが、「日本再生」とい
うことである。
 独立が遠のいた台湾。しかし、中国の覇権は日本にも及ぶ。この地域のためにも日本が、早く覚醒して欲しいという願いが
込められている。

最後に「難しいことは言いません。まず、李登輝友の会へ入ってください。李登輝友の会は『李登輝』の会ではなく、日本人の
ための会です。そして、金さん(自分のこと)の本を読んでいただければ、なお結構です」と笑顔で締めくくった。
 

質疑応答


Q:中国がチベットを侵略し「チベットを裕福にしている」と中国政府はいうが、「日本が台湾を豊かにした」との違いをどのよう
に話せばよいのか?
A:「植民地」ということには誰だって好い気はしない。ただ、日本は国際ルールに則って台湾を領有し、実際に豊かにした。
日本は、そこを教育しない。対する中国は武力でチベットを制圧している。それと環境も価値観も違う、19世紀の話と21世紀
の話を同列で語ること自体が、無理がある。

Q:李登輝先生は、台湾では日本ほど評価されていないと聞くが。
A:李登輝氏は22歳まで日本人であり、「武士道」としての日本の教育を受けた。そして、その教育のままに行動する。まさに
日本人の感性には、はまり過ぎるくらいはまる李登輝氏だが、台湾では、感覚的には、そこまでは行かない。また、彼が総統
時代には、議席数でも立場でも、もっと多くのことが出来たと思う。ただ、当時は、マスコミも中国国民党に支配され改革する
たびに「裏切り者」として、ことごとく、李登輝氏を叩いた。出来そうで出来ない事情はあったものだと思う。
その後、陳水扁となって、とにかく彼は、陳水扁氏に多く要求を突きつけた、陳水扁氏にしてみれば、「自分でもできなかった
ことを『やれ』といわれても」と、次第に二人は仲違いした。もっと、台湾のことを考えて我慢するところはしてほしかったが、残
念ながら二人ともかなりの頑固である。ただ、李登輝氏が台湾の歴史の中で燦然と輝く存在であることは確かである。

                                                              写真と文 渡辺裕一






金 美齢(きん びれい)

前台湾総統府国策顧問
学校法人柴永国際学園JET日本語学校理事長

『日本再生への提言』
日本李登輝友の会岐阜県支部設立記念講演