【知道中国 305回】〇九・十一・仲二
 
―ある恋の空騒ぎ・・・いや、ドンキホーテが編んだ戦塵訓だった__

『毛沢東最高指示』(新島淳良編 三一書房 1970年)

 過般亡くなった安彦(アンピコ)こと安藤彦太郎共々、かつて“都の西北”から毛沢東思想を鼓吹した新島は、「いまの日本の新左翼の大部分と、旧『左』翼・つまり日共代々木派が、プロレタリア文化大革命や毛沢東思想に狂気じみた攻撃と極度の無関心で対していることを思いうかかべながらこの」本を編んだとのことだ。そして、「彼らは主観的に革命を志向しながら、八億の人間が、そのために生き、死んでいる魂の問題は無視している」と糾弾し、「もしそれが、日本の革命とは関係ないというのであれば、私はあえて彼らをファシストとよび、昭和の初年の青年将校と同列におく」と猛々しくも告発する。

 こういわれても、「いまの日本の新左翼の大部分と、旧『左』翼・つまり日共代々木派」も「昭和の初年の青年将校」も戸惑うしかないだろうが、そんなことはお構いなし。新島は当るを幸いに無人の荒野を邁進するばかり。“一点突破全面展開”である。まさに、いけいけドンドン電車道。恐れを知らない。「中国のプロレタリア文化大革命の主要な任務は、『資本主義の道を歩む党内実権派をたたきつぶす』ことである。しかし、日本での任務はそこにはない」。「日本での任務」を完遂するためには、中国での文化大革命のために「配列された語録は参考にはなるが、そのまま使えるものではない」と考えるのであった。

 かくて新島は獅子吼する。「任務(課題)別に編集するなら、日本の革命家が独自に作らなければならない」、と。ここからが純正マオイストたる新島の真骨頂だ。彼は熱にうなされるように続ける。「毛主席は、中国人民の心の中の赤い太陽であるばかりでなく、全世界人民の心の中の赤い太陽だと、中国の友人たちは言う。それならば、その太陽を雲でおおうのはどうしてなのか。中国の友人たちよ、あなたがたのその態度は、大切な宝物を私有して人に見せない金持ちの態度に似てはいないか。あるいはまた、見せるのならいいところだけをみせようとする、国営観光業者の態度に似てはいないか」と「中国の友人たち」に説教を垂れ、「世界の人民は、毛主席の指示に教条はしない」と語った後、遂には林彪を持ちだし、「公表未公表を問わず毛主席の著作は、人民にとっては『問題をもって学び、活学活用し、学ぶことと用いることを結合し、さしあたって必要なことから学び、すぐ効果のあらわれるように学び、「用いる」という点に全力を傾注する』(林彪『毛主席語録』再版のまえがき)という態度で学習される」と、高らかに革命の進軍ラッパを鳴らす。

 以上から判断できることは、新島が「このささやかな毛主席最高指示集」と形容する本書は、新島が日本を革命するために編んだ、いわば“新島版毛沢東語録”ということになる。さらに新島は「この日本語版のささやかな『最高指示』が、英語・フランス語・スペイン語等に訳され、世界中の人民に伝わることを望む」とし、「毛主席の指示は、プロレタリア文化大革命を媒介とし、たんに一国の最高指示にとどまらず、世界のたたかう人民の最高指示になりつつある」と、飽くまでも無邪気で意気軒昂だ。それ行け!新島・・・ッ。

 以上の考えから新島は本書に「一九六四年一月から一九六九年九月までに毛主席がおこなった指示、談話、および毛主席が起草した重要な決定・通知を発表の年代順に収録して」いる。新島が選んだ毛沢東の文章はどれもが意義深い。だが、やはり最高と思われるのは次の一節だろう。「じっくり考えよ。――『解放軍報』一九六七・九・一」。