【知道中国 285回】〇九・九・念六
やはり「はじめに、ことばありき」ということだ

 97日、バンコクでタイ教育省基礎教育委員会主催で「中国語教師歓送会」が行われた。タイ全土から選ばれた165人の中国語教師は広西師範大学、西南大学など6ヶ所の中国語教育機関で1年間の研修を受け、帰国後はタイ全土の小中学校で中国語教育に当たることになる。すでに45人が先行しており、中国語教師養成のための中タイ合作第2次プログラムの総数は210人となる。94日には、タイ教育省私立学校教育委員会が担当する私立学校系の45人の中国語研修生の歓送会も行われている。

タクシン政権当時の2005年、タイ政府はタイにおける中国語教育の拡充を目的に「中国語教育発展戦略計画」を制定し中国語教師不足解消を目指した。これに中国政府が呼応し、タイ教育省と中国当局との間で3年間の「中国語教師養成のための中タイ合作プログラム」が制定され、089月にスタートしたのである。

現在、タイ政府は中国語教師養成のために、①毎年、100人の大学卒業生を選抜し中国政府の奨学金で1年間留学。帰国後は全国の国立学校に配置。②タイ政府が奨学金を与え在職教師から選抜し中国に送る――を実施している。こうして中国に送られた第1期留学生124人が今年(096月末に帰国し、中国語教育に当たっている。

中国側では北京師範、首都師範、天津師範、雲南師範、広西師範、西南、曁学、廈門の8大学が彼らの教育の当たり、中国政府は「公務員100人計画」に基づき、研修生1人当たり24千元(3600ドル前後)と600元(旅行保険)を提供している。だが、これでは100人しか養成できないということから、タイの教育大臣が今年(09)年6月に訪中した際、中国側窓口に当たる国家漢弁の許琳主任との間で話し合った結果、公務員100人計画とは別枠で110人を養成することとなった。この110人には国家漢弁と孔子学院総部とが資金を提供し、学費・寮費に加え毎月1400元の生活補助費を支給するとのことだ。

 現在とは大きく異なり、かつての中国は東南アジア向けて「革命」輸出に精を出していた。70年代末、訪タイした鄧小平は当時のクリアンサク首相に対し「党と党の関係は、国家と国家の関係に優先する」と語り、タイ共産党支援継続を表明したいたほどだ。それゆえタイでの中国語教育は極端に制限されており、中国語教育に関する政策は教育省ではなく国家安全保障委員会が策定していた。まさに教育ではなく安全保障の問題だった。

 ところが、である。中国が政治(=革命)を捨て経済に向かって一瀉千里に奔りだし、タイ経済中核の華人系企業が97年のアジア危機からの脱出策を好調な中国市場に随伴することに求め、さらには01年にタクシン政権が成立してからは中国市場への傾斜が進んだ。その結果、タイにおける中国語教育は一気に拡大することとなった。この好機を逃すことなく、中国はタイにおける中国語教育に攻勢をしかける。

 中国は世界各国に中国語を軸に中国文化を広めることを目的に孔子学院を展開している。極論するなら宣撫工作機関ということだろう。タイの場合、全国の有名大学を中心に孔子学院が13校(09年初現在)、03年には242校だった中国語教育施設が08年には1100余校と5倍、学習者は03年の5万人から08年の40万人へと8倍増。87日にはバンコクの有名な私立大学のアサンプション大学で孔子学院開校式が行われている。

 たかが中国語、されど中国語・・・かくして「はじめに、ことばありき」。