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『開国大典6小時 大典背後的秘聞』(于江 遼海出版社 1999年) 1949年10月1日午後2時55分、中華人民共和国中央政府の主席・副主席、それに委員たちは天安門の裏側にある広場に勢揃いした。主席の毛沢東を先頭にして、一団は楼上へと歩を進める。さぞや昂揚した気分だったろう。3分後の2時58分、ラジオからはアナウンサーの上ずった絶叫気味の実況が流れる。「毛主席がいらっしゃいました。毛主席が天安門楼上に確かな一歩をしるされました」 3時、共産党5元老の1人で中央人民政府秘書長の林伯渠が厳かに建国式典開会を宣言する。次いで毛沢東が湖南訛りで「中華人民共和国中央人民政府は、本日、成立した」と。その声が天安門広場の空に響き、鮮やかな余韻を残しつつ消えるや、軍楽隊が激越な調子で「義勇軍行進曲」を奏でる。新しい国歌が演奏されるなか、広場の空を揺るがすように祝砲が鳴り響き、毛沢東がボタンを押す。すると広場に立つ国旗掲揚塔に新しい国の、新しい国旗がスルスルと挙がる。北京の空に巨大な五星紅旗が初めて翩翻と翻った瞬間だ。 続いて毛沢東が強い調子で「中華人民共和国中央人民政府公告」を読み上げ、北平を北京に改めて中華人民共和国の首都と定めると宣言するや、広場に集まった30万人の歓喜が爆発する。毛はさらに中華人民共和国中央人民政府は「中国人民政治協商会議の定めた共同綱領を本政府の施政方針とし・・・」と続けた。 午後4時、林伯渠が閲兵式典開始を告げるや、真新しい軍服を纏った人民解放軍総司令の朱徳が天安門楼上から駆け下りる。朱はオープンカーに乗り、天安門中央に穿たれたトンネルを抜け、天安門と広場とを繋ぐ金水橋を渡る。橋の南で控えていた閲兵総指揮が恭しく敬礼し、「閲兵部隊準備完了。総司令、閲兵を」と叫ぶ。16万4千の三軍将士に対する閲兵が終わると朱徳は天安門楼上に取って返し、「いま中国人民解放軍の全指揮官、兵士に命令する。中央人民政府と毛主席のすべての命令を断固として執行し、速やかに国民党残余部隊を殲滅し、中国の全土を解放せよ。同時に、土匪と一切の反革命分子を殲滅し彼らによるすべての反抗と策動を鎮圧せよ」と「中国人民解放軍総部命令」を読みあげる。 次いで三軍部隊の分列行進。戦闘機11機など全17機の「我が空軍機」が轟音を轟かせ飛来するや、毛、朱、劉少奇、周恩来など党と政府の幹部は興奮気味に上空に眼をやる。 夕闇迫る6時頃、祝賀行事は最高潮に達した。誰もが提灯を手に祝賀行列だ。建国の歓喜が広場の夜空を彩った。午後9時半過ぎ、式典は幕を閉じ歓喜と興奮の1日が終わった。 この本は式典を挟んだ数時間をドキュメント風に追いかけている。だが、興味深いのは軍事パレードに参加した戦車の1輌が天安門のまん前を通過するシーンを捉えた写真だ。 砲塔から1人の兵士が身を乗り出し、五星紅旗を捧げ持ち、天安門楼上の毛沢東に向って敬礼をしている。戦車の横っ腹には「功臣号」の3文字。この3文字が、この戦車固有の愛称なら、09年春に訪れた天津の平津戦役記念館の庭に展示されていた戦車ということになる。展示戦車にも写真の戦車と同じ場所に同じ書体で「功臣号」。素人目には双方が同じ型に思える。展示戦車の横に置かれた説明板に「功臣号:日本製97式中型戦車は45年に我が軍が鹵獲した第1号。遼瀋戦役と平津戦役において軍功を立てた」と。 この97式中型戦車が今日まで歩んだ数奇な運命に、複雑な思いが募る。 |