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この本には荒ぶる政治的主張もなければ、民族浄化を嘆く大仰な物言いもない。漢民族非難の絶叫もなければ、民族的復仇への満腔の憤激も失地回復への猛々しいばかりの宣戦布告もない。ましてや民族消滅策動に徒に危機感を募らせているわけでもない。文化大革命に翻弄されるがままに惨めに変貌するチベットの寺院や街並み、漢族のなすがままに蹂躙され荒みきってゆき、挙句の果てに漢化への道を逼られるチベット社会が淡々と記録されているだけだ。だが、文革の日々を克明に語る写真と詳細なキャプションが、チベットにおける漢族の理不尽極まりない行動を雄弁に語り、冷徹な眼差しで告発する。 たとえば演壇に仁王立ちし両手を真横に広げ朗々と歌い上げるチベットの民族衣装を着た壮年の男を、ななめ正面から捉えた写真だ。彼の後ろの壁には大きな2枚の五星紅旗が張られ、それに挟まれるように毛沢東の巨大な肖像写真が飾られている。演壇には威儀を正した人民服姿の幹部が居並ぶ。「毛主席が人を遣わされ、雪山は微笑み白雲は道を切り拓く。一筋の黄金の帯が北京とラサとを結び、我らはチベットの至宝を抱え北京に向かい毛主席に奉げる。嗚呼、毛主席は我らに幸福をもたらす。感謝、感謝・・・」と、唱っている。まるで彼の伸びやかな高音がチベットの山々にこだましているように見えてくるから不思議だ。この写真を手にしたら、誰もがチベットの人々が勇躍と文革の戦列に加わり、文革の勝利を嬉々として歓迎し、毛沢東の偉大さを賛美していると受け取るに違いない。 だが、「常留柱と呼ばれる漢族でチベット人に扮装している。ラサにおける文化大革命慶祝大会においてチベット人民を代表して賛歌を唱った。チベット民謡を真似たメロディーの革命歌で、チベット人が作詞したものではない」とのキャプションを読むと、完全な“やらせ”であり政治宣伝以外のなにものでもないことが読み取れる。チベットでの文革は漢族による漢族のためのものだった。だからこそチベット寺院破壊に向かう隊伍を組んだチベット民衆の目は、その勇ましい出で立ちとは裏腹に虚ろなのだ。 農奴だったという「紅色歌唱家」が右手に『毛主席語録』を抱え左の襟元に毛沢東バッチを付け、「毛主席は真赤な太陽。救いの星は共産党。農奴から解放されて唱えば、幸福の歌声は四方に響く」「チベット族と漢族は同じ母から生まれた娘。彼女らの名前は中国」と唱っている写真があるが、ここでも彼女を取り巻く“革命群集”の視線は彼女に向かうことなく、虚空を彷徨う。侮蔑と嘲笑の眼差しで彼女を凝視する目線すら感じられる。 著者の1人である澤仁多吉は、現在は四川省に組み込まれてしまったが東部チベットに位置するカム地方の生まれで元人民解放軍将校。膨大な遺品のなかから文革関連写真を選び出し、解説を書いたのが娘の唯色。つまりこの本はチベット人の父と娘とによる共同作業によって編まれたの。父娘2代の、漢族に対する冷めた憤怒が伝わってくる。 それにしても、である。昨日のチベット、今日のウイグル。ならば明日は・・・。
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