【知道中国 243回】〇九・五・念六
愛国教育基地探訪(その5)

 
地方政府は不動産業業者の総元締に大変身__

    愛国教育基地探訪(その5)

      ――地方政府は不動産業業者の総元締に大変身

 

 唐山、秦皇島、遵化、承徳などの地方都市でも市街地再開発の真っ盛り。労働者の祭典であるはずの「五一労働節(メーデー)」だというのに、建設用クレーンが動き、労働者が立ち働く。現金収入の道を求めて近郊から流れ込んだ農民工と呼ばれる出稼ぎ農民だろう。

 彼らに割り当てられるのは製造・建設・運輸・石炭採掘・飲食店従業員などの単純労働。所謂「3K職場」だ。学歴も技能レベルも低ければ、安い給料で買い叩かれても致し方なし。唐山のマクドナルド店で見掛けた求人広告は「皿洗い:男女不問、経験不要、基本給600元+ボーナス+歩合給」。因みにレストランでビール1本は20元から30元。

 建国時に8つだった人口100万人以上の都市は2000年に53に増え、08年には174にまで激増した。農村部の5億人の労働人口のうち農業従事者は1億人。つまり4億人は農村では不要ということになる。目下のところ、4億人のうちの1億3千万人ほどが農民工として都市に流入し3K職場で汗水垂らし、「世界の工場」を支える。今のところ全人口に占める都市人口は40%だが、2020年には55%から60%に跳ね上がるとの予想もある。

 農民工の安価な労働力が際限なく注ぎ込まれることで都市化は進み、都市化するほどに農村は過疎化し農地は荒廃する。耕されなくなった農地を引き受け規模を拡大し農業経営の基盤強化を狙う動きもある。だが農地を手放してしまったら、出稼ぎ農民工は元の農村に戻りたくても戻れない。だから生き残るためには否が応でも都市にしがみつ。都市に農民工が溢れれば、安い労賃で買い叩かれるだけ。この悪循環が社会不安に拍車を掛ける。

 だが、驚くには当たらない。じつは中国文化なるものは、数千年来、都市が農村を蚕食して維持されてきたのだ。陶淵明や白楽天の典雅な詩作を支えていたのは、農民の膏血だったとわけだ。全土を都市化してしまうような目下の趨勢は、中国文化の”伝統”に則っているということ。ならば都市は、愈々もって農民を食い潰して肥大化することになる。

 新築のモダンなビルの合間に残る社会主義時代を象徴する無骨な老朽ビルや家屋の壁には、丸の中に「折」の字の「解体マーク」が赤く記されている。スクラップ・アンド・ビルドというのだろうが、建設ラッシュは都市の周縁に向かって果てしなく拡がっている。

 郊外もまた高層マンション建設の熱気に溢れ返る。建設現場には超高級マンション群が立ち並んだ夢のような巨大な近未来図が立ち、その横にマンション販売業者は「書香門第 鳳凰人家」「品質大宅 栄誉人生」――文人が住むに相応しい典雅な門構え、優雅なインテリア。超高級邸宅こそ人生の栄誉――購買意欲をそそる宣伝看板を掲げる。ところが、である。その隣には地方政府による「一年一大歩 三年大変様 五年躍上新台階(1年で大きく前進、3年で一大変貌、5年で超飛躍)」と書かれた巨大看板が並んでいるわけだから、まるで建設業者と販売業者の総元締めといった雰囲気。「一年一大歩 三年大変様 五年躍上新台階」を先ず実現したのは地方政府だった。なるほど、そうなんだ。(この項、続く)