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『中共の内幕』(金雄白 時事通信社 昭和37年) 著者は「日本国民は現在の中国大陸における不合理きわまる現象に少しも気づかないで、いまでもまだあこがれの気持さえ抱いているのかもしれない」と指摘し、「私は一人の中国人として、不思議に感ぜざるをえない」と、この本を執筆した動機の一端を明かす。 この本が扱おうとした「現在」は、百年に一度といわれる世界同時不況下で「保八(経済成長率8%堅持)」を国是とする2009年の春ではなく、50年代末から60年代初頭にかけて、つまり空前の暴政だった大躍進を毛沢東が強行していた頃に当たる。だが、上記の指摘は現在にも通じそうだ。ということは昔も今も、「日本国民は現在の中国大陸における不合理きわまる現象に少しも気づかない」ままに過ごしてきたということではないか。 1904年に江蘇省で生まれた著者はジャーナリスト、弁護士などを経た後、1940年には汪兆銘政権中枢入り。同時に南京や上海で新聞社や銀行を経営。日本敗戦後、国民党政権から日本に協力した漢奸(=売国奴)として禁固10年の判決を受けたが、汪政権にありながら「抗戦に共助し、人民を利した」事実が確認され大幅減刑となる。上海監獄で900日余を過ごした後、汪政権関係者に着せられた「あまんじて国を売り、永遠に中華民族の汚点になった」という屈辱を晴らすべく、1950年からは香港を拠点に言論活動をはじめた。 「考えてみると、日本人も気の毒なものだった。多くの支那通を自任した人びとは、その実、中国のいっさいを決して深く切実に知っていなかった」と、日本人の中国不理解と汪政権へのあらぬ誤解を正すべく、『同生共死の実体』を出版。その後、60、61年と訪日。「日本の各界の人びとの中国問題に対する関心の深さを知って感動」する反面、「大陸の現状に対する認識がかけ離れていることに驚」いた著者は、「幾度か会談した」「時事通信社代表取締役長谷川才次先生」から「『中共の最近の内幕』を書いて、日本国民の参考とするよう求められた」。そこで「すべて信頼すべき資料によ」って、この本を書き上げる。 著者が毛沢東と共産党への鋭い批判を展開していた当時、内外から「反中分子」「CIAの手先」と批判され、それゆえに彼の分析は「香港情報」の4文字に象徴されるデタラメ、ガセネタ、インチキの典型と看做され、内外から斥けられがちであった。 70年代前半の香港留学時、無謀にも著者を訪ねたことがあった。いまは観光客向けの豪華ホテルが林立する尖沙咀の路地裏の一角にあった5,6階建の老朽ビルの屋上に建てられた粗末な小屋が、住居兼事務所である。驚き戸惑う日本の若者を、夫人と共に歓迎してくれた。戸外には鶏小屋と小さな家庭菜園。2人とも粗末といったほうがよさそうな身形だったが、「これぞ自力更生」と意気軒昂。文革華やかなりし当時でもあり、共産党における権力闘争の凄まじさを熱く語る。その詳細は忘れてしまったが、帰りの道すがら「CIAの手先なら、もっと豊かな生活をしていてもよさそうに」と首を傾げたことを覚えている。 本書は具体的事例を挙げ権力機構、党組織、軍、人民公社、文化、文芸、メディア、科学、工業、農業、労働者、農民などをキーワードにして、外部からは窺い知ることが困難であった当時の『中共の内幕』を驚くほどリアルに描き出す一方で、「日本を顚覆して東亜の覇者になるという中共の夢想」が持つ危険性を指摘する。だが当時も、その後も、日本が著者の主張を受け入れることも、その警告に耳を貸すこともなかった・・・なぜだ。 |