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『中国 これからの三十年』(ロベール・ギラン 文藝春秋新社 1965年) 1939年から46年まで日本に滞在した経験を持つフランス人ジャーナリストの著者は、建国直後の中国を取材して早々と中ソ対立を予言し、ヴェトナムのディエンビエンフーにおける54年5月のフランス軍敗北を示唆。また64年のフランスによる北京政権承認の8年前には、すでに「新中国を承認する前に新中国を知らねばならぬ、というものがいる。私はこの言いまわしを逆にしたい。そして、新中国を知るために新中国を承認しなければならぬ、といいたい」(『六億の蟻』)と主張するなど、「辣腕のアジア通」で知られていた。 前回の中国取材から9年が過ぎた64年に何回目かの訪中を果たした著者は、その成果を知識人の新聞といわれた「ル・モンド」に連載。それを加筆・訂正・編集したものが、この本だ。書名からも判るように著者は、55年から64年までの9年という時を隔てた変化に基づく30年後の中国の姿を描き、「いまから三十年ののち、この人民中国は、新しい時代の新しい巨人のひとりとして決定的に、われわれのあいだに、席を占めるであろう。そのとき、世界は、長いあいだ、中国の不在のみしか知らなかった当時の世界とは、まるっきり変っているだろう」。「新しい中国が完全に建設されるには、まだあと、三十年を要するだろう。そのとき中国は、とほうもない巨人となっているだろう」と予測してみせた。 彼は、このような予測の根拠を「中国における共産主義の成功」に置く。「共産主義が、あらゆる種類の往昔の害毒――腐敗、無秩序、疾病、阿片、売淫等々を撲滅し、賞賛に値する勝利を納め」、「中国の統一、教育の普及、正直、道徳性、衛生等々は・・・すっかり中国人の生活に根をおろしている。例えば、ハエは、ふたたび、戻ってこなかった。中国人が重大な食料不足を経験したことは事実であるが、いまでは、彼らは、たらふく食べている」と讃え、「中共の制度は、確かに、何億もの精神を、その鋳型に入れて、七億の服従者を製造する企てに成功した。・・・毛沢東的マルクス主義のローラーで個人を圧延する意思はひきつづいて堅持され“全体として見て”成功した」と評価する。 さらに64年夏の共青団大会における「『わが国は、五世代、十世代にわたり、そして、永久に革命的で、腐敗を知らない』というという(毛沢東の)神託」を引いた胡耀邦報告を紹介した後、「毛沢東の時間表では、社会主義時代が終わって、共産主義が君臨するまで、今から二百年か、二百五十年かかる。・・・耐乏と激しい労働、・・・常住の努力と勤労・・・が五世代、十世代とつづいてはじめて、中国人は、反動の芽を完全に絶滅し、嫌悪すべき資本家を、すでに亡びて姿を消した人類の一種にしたという安心感が得られる」と、『これからの三十年』ならぬ「二百年か、二百五十年」先の遠い将来の中国をも予測する。ただし著者は、「中国人が忠誠を守るならば・・・・・・。」との留保を決して忘れてはいない。 この本は、「(かつての孔子に代わって)今日の中国は、毛沢東において、絶対至上の思想の師を発見した・・・・・・。“毛主席、私たちは絶対に変わりません”」で終っている。 著者が『これからの三十年』を予測してから40数年が過ぎた現在、確かに「人民中国は、新しい時代の新しい巨人のひとりとして決定的に、われわれのあいだに、席を占める」「とほうもない巨人」に変貌したが、「あらゆる種類の往昔の害毒」や「資本家」も息を吹き返した。やはり「“毛主席、私たちは絶対に変わりません”」も一時の方便だったようだ。 |