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武漢市で福華電機と脱脂綿厰を経営する李寅廷は、政府から救急袋と三角巾の製造を請け負った。「彼は救急袋に入れる脱脂綿の製造に当り、政府から渡された品質のよい綿花のかわりに廃綿をつかった。この廃綿も、二〇〇疋のガーゼも、ともに漂白も脱脂も行わなかった。のみならず、廃綿中の一千斤は、クズやから買ったものであり、甚だしきに至っては、小児の死骸についていたものであった。従ってこの廃綿をうちかえすと、工場の中がくさくなり、一度は綿の中から子供の頭がい骨がでてきたこともあった」。かく暴利を貪った彼は「被服工場・酒場・木工店をひらき、薬品に投資し、一八の銀行に貯金していた」。 中国人民銀行河南省分局では本店視察団を迎えるに当たり、2億5000万元の工作費を捻出し、100人を招待しての大宴会。そのうえ招待を口実に仲間内での連日のドンチャン騒ぎ。 この程度の“経済犯罪”は昨今の中国では日常茶飯事。とりたてて騒ぐこともなかろうと思いきや、以上は、この本が紹介する1950年代初頭の話である。筆者は、「官僚主義の強い所では、汚職・浪費の事件が多く発生した。なぜなら、官吏が署名や捺印だけで書類をすませ、大衆の生活の実情を知らない場合には、汚職者・浪費者は、えたりかしこしと活動したからである」と、この種の不正の温床を官僚主義に求めている。 じつは汚職・浪費事件の頻発に手を焼いた共産党政権は、51年から52年にかけ国を挙げて「三反五反運動」を展開し、社会の綱紀粛正を目指す。同時にそれは文化大革命に至る全国民を挙げての過激な政治運動のはじまりでもあった。三反とは汚職・浪費・官僚主義を「三害」、五反とは贈賄・脱税・国有資産盗用・原料や手間の誤魔化し・国家経済情報のインサイダー行為を「五毒」と名づけ、これらを共に糾弾・根絶すべく全国民を動員する。 この運動が全国的に徹底された結果、「汚職は基本的になくなり、資本家の反国家反人民の傾向が阻止された。根治不能と思われていた社会悪をやめさせることができたので、社会改造の意義を各方面に徹底させることができた。資本家は中共の指導する社会では、昔のように悪事は栄えないことを知り、また労働者階級の指導なしには、社会の進歩はありえないことを身をもって知った」と著者は絶賛するが、現実は違っていた。「汚職は基本的になくなり」はせず、やはり「根治不能」だった。三害と五毒ははびこったまま現在にも続いている。官僚主義の弊害、漢民族の体質・・・永遠の病理ということか。 やはり著者の目は節穴、いやタメにするウソやホラ。この本を書いた当時の著者は40歳そこそこの働き盛りで、日本平和委員会常務委員兼アジア太平洋地域平和連絡委員会副書記長の肩書き。加えて北京在住は「いつの間にか三年となった」。どうせ北京御用達の提灯持ち。“アゴ足付き”の貴族生活。ならば、「一般的にいって、中国共産党、各級人民政府、人民革命軍事委員会系統、大衆団体の幹部は、革命的伝統を守って、廉潔・素朴であり、誠心誠意人民に服務してきた。その、私心のなさ、廉潔さは、実に中国歴史始まって以来のものとして、深く人民の信頼を得ていた」と、バナナの叩き売りのように口から出任せの嘘八百を並べ立て世間を欺こうと商売に励んでいたとしても、なんら不思議ではない。 著者が熱く語る『中国の建設』を現時点で読み返すと、我が国戦後中国認識が出発の時から如何に不真面目・出鱈目・インチキに毒されていたかが実感できるはずだ。
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