【知道中国 212回】〇九・二・初三
『新中国二十年史』
 ―バカ馬鹿しいにもホドがある―
__


           『新中国二十年史』(岩村三千夫 潮新書 1973年)

 よくもまあ、こうもウソ・デタラメを書き連ねたものだ。呆れるやら感心(寒心?)するやら。この本を中国語訳して中国人に読ませたら、どんな反応が返ってくるだろう。当時を知らない若者は「へー、うっそーッ。昔はみんなが助け合って夢のような国だったジャン」と感歎の声を挙げるかも知れない。一方、当時の苦しみを忘れようにも忘れられない世代は「思い出したくもない。無責任・無自覚・無定見の極みだ」と顔を顰める。あるいは「国を挙げて正気の沙汰ではなかった。そんな時代もありました」と、伏目がちに口ごもり自省を込めて恥じ入る――というわけで、著者の戯言を思いつくままに拾ってみた。

「もっとも根本的なことは、この十年の間(=1949年から59年)に人と人との関係に根本的な変化がおこり、労働者・農民と働く民衆が国の主人公としての自覚を高めていたことである。

 「こういう大型化(=人民公社化)につれて、農繁期には共同食堂や託児所を大量につくって婦人がいっそう労働しやすいようにして労働力不足を克服する努力もおしすすめられた。いたるところで、はつらつとした集団主義の機運がみなぎっていた。

 「農民たちは、この公社化の運動を、上の管理機構を改めるだけの行政的なこととうけとめなかった。・・・農村における共産主義的精神を高揚することに努力し、・・・公社内の社会福祉をつよめ、個人収入の差をすくなくすること、男女関係をいちだんと平等化することに努めた。・・共同食堂や託児所を広はんにつくって婦人を家庭労働から解放・・・。

 「新中国の軍隊は、もともと国内革命戦争できたえられた労働者農民の志願軍であって、隊のなかに一切の身分制度のないのが特徴であった。

 「人民公社成立後の中国農村は、互いに足らない食糧をわけあって、ほとんど餓死者をださずにのりきったと信じられている。

 「かれら(=劉少奇に代表される実権派)は毛主席の正しい主張とその威信をうち破ることはできなかった。

「(文革は)平等と民主主義と国際主義に徹し、都市と農村、労働者と農民、肉体労働と精神労働の『三つの差』の克服をめざす苦難のたたかいである。そして、この『三つの差』をのりこえる努力と、生産を発展させ国民生活をいっそう豊かにしていく努力をいかに統一的に発展させていくかということが、今日、中国の指導者と人民の直面している課題であろう。」

 この本は、この種のホラ話に満ち溢れる。確かに毛沢東の強引極まりない政治の実態が明らかになった現時点に立ち、この本の荒唐無稽さを批判することは容易いし、後出しジャンケンに似た「卑怯な振る舞い」と受け取られても仕方がない。だから、この種の、文革の熱狂に煽られて続々と出版された数多のトンデモ本は黙ってソッと廃品回収業者に渡すのが惻隠の情というもの。だが、著者のような提灯持ちの類に惻隠の情は一切無用だと敢えて力説したい。なぜなら自らが信じた信じなかったかは別にして、当時、著者たちは北京発表の“粉飾情報”を散々垂れ流し、毛沢東=中国幻想を撒き散らしたからだ。その罪は重く未来永劫に消えることはない。彼らを、断固として許すわけにはいかない。