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文革中、幹部や知識人を肉体労働によって再教育しようと全国に設けられた「五・七幹部学校」に放り込まれ、「読んでいいのは『毛沢東選集』だけ」という条件下でも、彼は「上に『毛沢東選集』を置き、その下に自分の読みたい本を隠したりして」研究を続けている。 この経歴からみて、彼は風見鶏的共産党御用達学者の類でもなさそうだが・・・。 彼は毛沢東政治を「五〇年代中期・後期から文化大革命まで、社会主義の仮面をかぶった封建主義がしだいしだいに猛威をふるうようになった。それは大々的に資本主義に反対し、ニセ道徳の旗を高く掲げて、犠牲的精神を高唱し、『個人主義は万悪の根源である』と宣伝して、人びとに『私心と闘い修正主義を批判し』て、堯舜ばりの聖人になることを要求した」と総括する。どうやら「百戦百勝の毛沢東思想」なるものは「社会主義の仮面をかぶった封建主義」であり、毛沢東は人民に、できもしない不可能な「堯舜ばりの聖人になること」を強要したことになる。ならば毛沢東は堯舜を聖人と崇め奉り、堯舜や周公の超倫理的政治を地上に再現しようと夢想した“孔子の亜流”といってもよさそうだ。 孔子を始祖とする儒家が墨家と共に存続しえた「根本的基盤」こそ「農業の小生産に立脚する家族・宗法制度」であるとの指摘に従えば、「この基盤に根本的変動」が生じなかったことが中国近現代の蹉跌を招き、毛沢東の革命は激越な過程を辿りながらも実際には中国社会における「根本的基盤」に決定的打撃を与えることが出来なかったともいえそうだ。そこで伝統の持つ強靭さにという大問題に突き当たるが、著者は伝統とは「生きた現実的存在であり・・・捨てようと思えば捨てられ、保存しようと思えば保存できるような、自己にとって外在的なものではない」と断言する。 かくて伝統(=中華世界の根本原理)である儒家の倫理主義では、「契約を特徴とする近代社会の政治・法律体制に、もはやまったく適応できない」との考えに至るのだが、じつに厄介なことに歴代共産党政権は倫理主義という時代遅れのカンバンを外そうとはしない。 自由について「中国の伝統のなかにあったのは、厳格に規定されず、広漠として無限定な自由である。法によって規定され、限定づけられた自由はなかった。そのためしばしば、強者が弱者を虐げ、多数が少数を迫害し、上が下を圧迫し・・・これは真の自由ではない。それはただ少数者による専制と無政府状態をもたらすのみである」と語り、「法律の制定と執行」によらない限り真の自由は達成できない、とする。人治は続くよ、どこまでも・・・。 著者の主張に拠るなら、毛沢東以来の共産党政権を支えているのは、あるいは封建中国の「根本的基盤」に裏打ちされた伝統ということにはならないだろうか。 |