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中国であれ日本であれ、いや凡そ儒教文化圏と呼ばれる東アジアに住み、古来、孔子を「大成至聖文宣王」、孟子を「亜聖」と呼び慣わし崇め奉ってきた人々にとって、これは紛うことなき異端の書だ。儒教道徳を再評価し、荒廃するばかりの社会環境を建て直し、民族の団結と精神の高揚に繋げようなどと考える北京の指導者にとっては、著者の言い分は断固として許すべからざる荒唐無稽な罵詈雑言の類であり、著者なんぞは八つ裂きにしても殺し足りないほどに危険思想の持ち主、極悪非道の無頼漢、無知蒙昧な未開人ということになるに違いない――そこで、なにはともあれ著者の“見解”を追ってみよう。 東北大学大学院教授で中国哲学を専攻する著者は、先ず「前四七九年、中国最大のペテン師がこの世を去った。その男は、自ら王者となり、わが手で新王朝を樹立せんとする誇大妄想に取りつかれたあげく、夢破れ挫折する。かくも偉大なこのわしを、なぜに世間は認めぬのか。自分を受け入れぬ世間への憤りが、男の胸中に鬱積し、膨れ上がっていく。死の直前、男は悲嘆の涙にくれながら、『天下の無道なるや久し。能く予を宗とすること莫し』(『史記』孔子世家)と訴え、怨みを残して死んでいった」と、“不届き千万”にも孔子を「その男」と呼ぶのはまだしも、いうに事欠いて「中国最大のペテン師」と決め付ける。 そして、孔子に向けて第2、第3の批判・悪罵の矢を放つ。 「だがよく考えてみれば、都を遠く離れた小国・魯の、しかもたかだか下士の倅ごときが、天子になり損ねたと言ってわが身の不幸を嘆くのは、そもそも傲慢であり滑稽であろう」、と。さらに「詐欺師的人生」を送った「孔子が王者であったとの主張自体が、全くの虚偽でしかない以上、孔子の手に成る礼楽など、どこを探してもありはしない」。 次いで儒教は「一介の匹夫にすぎぬ孔子が、実は孔子王朝を創始すべき無冠の王者(素王)であったと信じ、『春秋経』をはじめとする孔子の教えに従うならば、中国世界に太平の世が到来すると信じる宗教」とされ、「何よりも孔子素王説なる虚構と欺瞞の上に成立する宗教」とこき下ろし、さらに儒家を「孔子素王説を国家権力に公認させ、その権威を借りて、世間の人々にこの虚構と欺瞞を信じ込ませる」ことに邁進したとも糾弾する。まるで儒家は「ペテン師」のパシリとでもいいたげだ。 清末に登場し失敗したが清朝再興に尽くした康有為を忠実・忠良無比の孔子学徒、つまり最高級のペテン師とする著者は、康が「儒教のみならず、輝かしき中華文明もまた、実はすべて孔子一人が創立・制定したのだと力説する」と主張し、康の著作の持つデタラメぶりを解き明かす。「虚構と欺瞞」と断言する「孔子素王説」にしても、天を絶対最高神とする中華世界の根本原理を打ち立てたがゆえに世俗社会の最高権力者たる天子=皇帝を超えた存在であると孔子を位置づけたことから、「孔子を顕彰して見せる演出が、中華の支配者たる正統性を示す早道になった」。これが中華帝国皇帝が秘める正統性のカラクリなのか。 閑話休題。数年前から北京は世界各地に「孔子学院」なる教育機関を設け、語学・文化教育を施すことで親中派の育成・拡大を目指す。ソフトパワー外交の海外拠点だ。孔孟の教義はデタラメだという主張に異論はあろうが、孔子=ペテン師という考えに従えば「孔子学院」は「ペテン師学院」だ。まさか・・・フーン、成る程・・・そうなのか。
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