『中国=思想と文化』(林語堂 講談社学術文庫 1999年)
20世紀中国を代表する英語の使い手といわれる林語堂(1895年から1976年)は、「長期間にわ
たる苦しい思索、読書、内省の結果」えられた「自己の観点を披瀝」しようと、1935年にニュー
ヨークで『MY
COUNTRY AND MY PEOPLE』を出版した。尤も、その裏には長編小説の『大地』で
20世紀初頭の貧しい中国農民の生きる姿をありのままに描き出したノーベル文学賞受賞女流作家
のP・バックの強い勧めがあった。それを邦訳し『中国=思想と文化』と改題したのが、この本
だ。さすがに著者自らが「長期間にわたる苦しい思索、読書、内省の結果」というだけあって、
文庫本ながら500頁超の行間には中国の社会と人についての興味深い考察、著者ならではの皮肉や
ユーモア、ドキッとさせられるような記述が満載されている。だが、その眼目を敢えて挙げろと
いわれたら・・・
先ず儒教と道教について。「成功したときに中国人はすべて儒家になり、失敗したときはすべて
道家にな」り、「儒家は我々の中にあって建設し、努力する。道家は傍観し、微笑している」と林
は説く。ならば中国人の体内には儒教と道教が渾然と宿っている。つまり中国人の建設と努力は、
いつでも傍観と微笑に変わりうるということになる。
次は「民族としての中国人の偉大さ」について。林によれば中国人は「勧善懲悪の基本原則に基
づき至高の法典を制定する力量を持つと同時に、自己の制定した法律や法廷を信じぬこともでき」
る。「煩雑な礼節を制定する力量があると同時に、これを人生の一大ジョークとみなすこともでき
る」。「罪悪を糾弾する力量があると同時に、罪悪に対していささかも心を動かさず、何とも思わ
ぬことすらできる」。「革命運動を起こす力量があると同時に、妥協精神に富み、以前反対してい
た体制に逆戻りすることもできる」。「官吏にたいする弾劾制度、行政管理制度、交通規則、図書
閲覧規定など細則までよく完備した制度を作る力量があると同時に、一切の規則、条例、制度を破
壊し、あるいは無視し、ごまかし、弄び、操ることもできる」――なんとも融通無碍で変幻自在。
絶対矛盾の自己同一。手前勝手の超自己チュー。ずばり一言で表現するなら、ナンデモあり。
第3は共産主義について。国民党による包囲殲滅作戦から逃れ、紅軍が命からがら延安に辿り着
いたのが『MY COUNTRY AND MY PEOPLE』の出版された35年の10月。当時の共産党は風前の灯火。
毛沢東だって、お先真っ暗に近かったはず。にもかかわらず林は「共産主義政権が支配するような
大激変」を予想したうえで、“その先の中国”を見据え「社会的、没個性、厳格といった外観を持
つ共産主義が古い伝統を打ち砕くというよりは、むしろ個性、寛容、中庸、常識といった古い伝統
が共産主義を粉砕し、その内実を骨抜きにし共産主義と見分けのつかぬほどまでに変質させてしま
うことであろう」と断じている。
最後は反日について。この本の末尾近くで「中国人はたっぷりある暇とその暇を潰す楽しみを持っ
ている」と語る林は、「蟹を食べ、お茶を飲み、名泉の水を味わい、京劇をうなり、凧を揚げ、蹴
羽根で遊び・・・子供を産み、高鼾を立てる」など中国人による暇潰しを60種ほど挙げているが、
43番目が「日本人を罵倒」。当時、満州事変(31年)、満州国建国(32年)、日本軍熱河占領(3
3年)、満州国帝政実施(34年)と続き、反日機運は高まるばかり。そうか「日本人を罵倒」する
ことは暇潰しの1つだったのか・・・嗚呼。
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