平成21年3月3日に配信された「日台共栄」より
西村真悟先生の記事をホームページ上で紹介させていただきます。

1947年2・28と日本の覚悟 [西村 眞悟]

【3月1日 西村眞悟の時事通信 No.411】

 二月二十六日は、昭和十一年の2・26事件を思い起こし、二月二十八日は、一九四七年(昭和二十二年)の台湾における2・28事件を思い起こす。

 本年の二月二十六日の東京は、午後一時の気温が3度で、みぞれが降る寒さだった。その寒さが、七十三年前の都電が止まるほどの雪の東京を思い起こさせた。

 赤坂見附から青山の方にしばらく行くと高橋是清邸敷地跡に公園がある。此処で至宝とも言うべき大蔵大臣高橋是清は2・26の反乱軍部隊の銃弾を浴びて亡くなった。本年も、この公園に行きたくなったが、時間の都合がつかず行けなかった。

 以後、2・26事件は繰り返されてはいないが、議会政治の志なき迷走は今も繰り返されている。

 広田弘毅は、憲法にいう統帥権独立を掲げる軍部に苦慮し、「長州の作った憲法に悩まされる」と語ったという。

 現在は、憲法にいう「平和主義」の御陰で危機感が抜け政治がマッカーサーの言ったとおりの十二歳になっている。

 憲法九条があれば、日本は平和であると思い込んでいるのだ。あたかも、憲法に「台風放棄」と書いておけば台風は日本にやってこないと思うが如きである。これを思考停止という。

 思考が停止しているので、「マッカーサーの作った憲法」から現在に至るも脱却することもなく、そこに安住している。

 従って、戦後政治は、北朝鮮が日本人を拉致したことを信じたくない。できれば蓋をしておきたい。何故なら、平和主義では対処し得ないからだ。

 これが、我が国政界が現在においても拉致被害者救出を国政の最重要課題として把握し救出を行動で示し得ない理由だ。

 七十三年前、部下の兵士の背後にある農村の疲弊に青年将校が憤った。彼らが今おれば、北朝鮮に拉致されて放置されている数百名の日本人救出に如何に取り組むであろうか。

 さて、昨日二月二十八日には、大阪で2・28事件に関する二つの集会があった。

 午後三時からは、大阪日台交流協会主催の記念講演会。帝塚山大学名誉教授の伊原吉之助先生の講演があるので、お教えを受けに行った。

 先生の演題は「忘却の二二八事件、台湾の危うい前途」。

 次に、午後六時からは、日本李登輝友の会主催の「二二八記念台湾問題講演会」。

 此処で私は、「台湾は日本の生命線」と題して講演する機会を与えられた。

 まず第一に、昭和二十二年二月二十七日から始まった2・28事件とは、蒋介石の国民党の軍隊が、台湾において日本統治時代のエリート層、つまり帝国大学出身の教師、法律家、医者、学生などの知識層や国民党に反発する人々を抹殺した事件である。殺害された人々は、二万人とも三万人とも言われる。チベットでもウイグルでも一九八九年の天安門でも為されたことが台湾でも為されたのである。

 そして、以後台湾では一九八七年までのほぼ四〇年間にわたって戒厳令が布かれ自由が束縛され、台湾人はいわゆる「白色テロ」の恐怖下におかれる(なお、朝鮮戦争においても、北の独裁政権の軍隊は日本時代の帝国大学出身の知識層を狙い撃ちして拘束して連れ
去った)。

 そこで、前提として押さえておくべきことがある。

 それは、昭和二十二年に台湾で殺され弾圧された人々は何人かということだ。

 彼らは日本人だった。

 日本は敗戦後連合軍の占領下におかれていた。その時、台湾では、日本人が数万人殺されていたのだ。

 東京と大阪で、占領軍が知識層と占領政策に不満を持つ日本人を数万人殺したことはなかった。しかし、台湾では殺されていた。

 もちろん、台湾人はこの殺戮を覚えている。しかし、日本人も覚えておくべきだ。台湾では、日本を信頼する数万人の「日本人」が中国人によって殺されたのだから。

 そして、この事実から学ぶべきことは、今も変わらない中国人の残虐性と中国の権力の本質である。

 次に、私が講演において述べたことの概略を記しておきたい。

 まず、日本が持つべき台湾に関する基本的認識は以下の通り。

1、日本はサンフランシスコ講和条約において1952年4月28日に台湾と澎湖島の領有権を放棄した(それまでは日本だった)。

2、中華民国(現在存在するか否か不明)も中華人民共和国も、共に建国時には、既に台湾は日本の領土であるから両国は台湾に対して請求権を持たない。

3、1945年10月の国民党軍の台湾進駐は、東京にアメリカ軍が進駐したのと同様、連合国軍最高司令官が講和が成立するまでの管理を委ねただけのことである。

4、サンフランシスコ講和条約において日本は台湾の領有権を放棄しただけで、その帰属は決まっていない。

5、このような場合、台湾の帰属は住民の自決に因って決定されるのが国際法つまり国際社会の原則である。

6、従って、台湾と中国との間の問題は、国際問題である。馬英九政権は、この点を明確にしたうえで、中台交流をすべきである。中国はチベットでも明らかなように、問題を「国内問題」として、やりたい放題やる。

7、2・28事件の記憶に発する台湾人としてのアイデンティティーの自覚、そして、李登輝総統のモーゼのような奮闘によって、台湾は選挙によって総統を選出する民主国家となっている。従って、台湾国民の民意を無視して台湾の総統は務まらない。

 以上の通り台湾を把握すれば、台湾は自由と民主主義の理念を共にする海洋のアジアに生まれた我が国の友邦である。

 近隣に理念を共にする独立国家が一つもなかった十九世紀以来の我が国の孤独を振り返れば、民主台湾の出現に、歓迎すべき東アジアの文明論的意義を見いだすことができる。

 そこで、この台湾を中国が併合しようと狙っていることを我が国は如何に捉えるべきか。

 これは、我が国の生命線であるシーレーンを中国が扼し、台湾の持つ強力な海軍力と空軍力が中国人民解放軍と合体してわが国に対して向けられることを意味する。

 つまり、中国による台湾併合は台湾の武力が我が国に向けられる我が国の死活的な国益にかかわる問題である。

 よって、台湾防衛は、完全に我が国の自衛権発動の問題である。

 一八〇七年にイギリスとデンマークの間に、デンマーク艦隊引渡し請求という事件が起こった。

 一八〇五年のトラファルガー海戦によりフランス海軍は衰えたが、中立国デンマークにはイギリスに次ぐ強力な艦隊があった。イギリスは、ナポレオンがデンマークを攻略してデンマーク艦隊を手中に入れればイギリスへの大きな脅威になると予想し、デンマークに艦隊の引き渡しを求めた。

 しかし、中立国デンマークが引き渡せるはずがない。そこでイギリスは艦隊を出動させて、海からコペンハーゲン市内を砲撃してデンマークを屈服させ、デンマーク艦隊を総てイギリスに曳航して持ち帰った。

 この事件は、イギリスの自衛権の行使の事例として今に至るもリーディングケースとなっている。

 中国が台湾を併合すればどうなるか。イギリスが大陸のナポレオンが加えるであろう脅威を防ぐために行った、デンマーク艦隊引渡し請求事件とそっくりなケースがここに再現されている。

 従って、台湾の問題は、我が日本の自衛権の問題である。

 国民党の外省人馬英九政権になった今、台湾の動向に目が離せない。

 台湾国民は、中国との「交流」は許しても、中国による併合は許さない。しかし、中国共産党と中国国民党は、第三次国共合作により台湾を中国の領土に組み込もうとしている。
そうなれば、武力行使、2・28事件の再現は必至である。

 日本は、自らの存立を確保する為に、如何にして台湾を守り、東アジアにおける人民の幸せを確保するための理念を守るか、覚悟を決めねばならない。

 それは、自ら核抑止力を保持する覚悟であり、日米同盟強化のための集団的自衛権行使であり、シーレーンと台湾防衛のための海空戦力を一挙に強化する為の自衛隊の再編である。

 予算が衆議院を通過した後、マスコミは麻生下ろしを煽り、何時までも、中川昭一氏のローマでの記者会見に発したネガティブキャンペーンを執拗に続けている。

 そして、本日ここに書き込んだ問題意識とはまるで無縁の動きだけがマスコミにより国民に流されている。

 ここで、「覚悟を決めねばならない」と言っても空しいではないかとの反論を受けるかも知れない。

 しかし、言い続けるのが国民からいただいた私の任務だ。

 「亡国を知らざれば、これ即ち亡国」と田中正造翁も言い続けたではないか。

                                     (了)